2005.4.21〜2005.4.24
瀬戸内 風にふかれて
(草戸稲荷神社)、石上布都魂神社、中山神社、吉備津神社、吉備津彦神社、(大山神社)


 岡山県には4社の一の宮が鎮座している。これらの一の宮巡拝のタイミングを逸してしまった。それは、JAL仙台-岡山便の廃線(2005.3末をもって廃線となった)により、直接移動する手段を失ってしまったからである。
 現在、空路、陸路を組み合わせれば、岡山に行く方法は色々あれども、直接辿り付くことができないのであれば、せっかくなので、隣県の尾道を訪ねて散策をしたり、お好み焼き、鉄板焼きの”暖談さん”にも立ち寄りたいという考えがあったので、空路仙台-広島便(といっても通常料金は高いので超割の期間を選んだ。)を使用することにした。
 また、いつもは駆け足の旅なのであるが、今回は、休日出勤分の代休2日を土日につけて取得して3泊4日の、のんびりとした旅の計画を以下のように立てた。 
 4.21に広島空港から、リムジンバスで福山へ。福山の神社を参拝後、岡山に向かい岡山泊。22日は岡山駅前でレンタカーを借りて岡山県内の一の宮神社を巡拝し、レンタカーを返却後、尾道へ。23日は尾道散策し、24日は23日の状況により行程を決め、夜の便で広島空港から仙台へ戻る。
 という計画である。


2005.4.17

 インターネット等で今回巡拝する神社の情報を調べていると、石上布都魂神社は神職の方が常駐しておられないことが情報としてわかってきた。この日、書籍にあった連絡先に電話をすると、年配の女性が電話口で応対して下さった。22日に参拝予定であるが、御朱印の対応をお願いできるかを問い合わせさせていただいたところ、対応いただけるとのことで、8:00に岡山からレンタカーを借りて直接向かうので9:00〜10:00の間には到着できそうだと告げると、その時間に神社で待っていて下さるとのお話をいただいた。
 このとき、電話先の女性の名前をお聞きするのを忘れてしまうという失態をおかしてしまった。お詫びの意味と、必ず伺うことを再度伝えたいと思い、書きなれぬ手紙をしたためた(とはいっても小生は乱筆故ワープロであったが...)。


2005.4.21

 6:00少し前に起床し、フジ丸に乗り込み出発。仙台は前日からの雨が残ってたが、中国地方は晴れの予報であったので、特に心配もせず空港へ向けてフジ丸を走らせた。途中朝食をとり、馴染みの駐車場にフジ丸を預け、空港に到着。
 今回はお世話になる神社さんと、お好み焼き、鉄板焼きの”暖談さん”へのお土産に萩の月を購入した。預ける予定のトランクに購入したお土産をつめ、チェックインカウンターへ向かう。
 途中手荷物検査場が混んでいるようであったので、早々にチェックインを済ませ、トランクを預けて、手荷物検査に並ぶ。最近はデジカメなので、感光の心配がないので安心して荷物をX線検査機に通すことができるようになったので大変楽である。 
 前日まで案外仕事でばたついてしまい、巡拝の計画も大雑把にしか立てていなかったので、ラウンジにて計画を立てつつ飛行機の出発時間を待った。 
 ANA801便は定刻通り出発し、途中揺れることもなく、予定通り広島空港に到着した。預けたトランクを受け取り、まずは予定通り福山を目指すことにした。


福山へ

 福山へは広島空港からリムジンバスが出ている。11:10発の福山行きのリムジンバスにタイミングよく乗ることができた。約1時間ののんびりとしたバスの旅、車窓から風景を楽しむ余裕があった。
 12:10頃、福山駅に着き、コインロッカーにトランクを押し込み、散策を開始する。


福山城

  福山駅のコインロッカーのすぐ前には福山城の石垣が見える。福山城に行ってみることにした。福山城の白く5重の天守閣は大変美しく、街の中心のこのようなシンボルがあることを大変うらやましく感じた。福山城の天守閣の前は広場となっており、近くの中学生の野外活動であろうか?子供達が皆元気に走り回っていた。
 さて、前知識もなく福山城に訪れてしまったので、後日少し福山城について調べてみた。記録として簡単に残しておこうと思う。
 福山城は、1619年(元和5年)に水野勝成が、備後10万石の領主となった際に築いた城とのことだ。
 では、水野勝成とはどのような人物であったのであろうか?
 江戸時代前期の大名で、水野総兵衛忠重の子として三河岡崎に生まれ、徳川家康の従兄弟にあたる。父親と不仲になり、諸国を転流する。豊臣秀吉、佐々成政、小西行長に歴仕。慶長5年(1600)帰参し、父の領土を継いだ後、大和郡山城主を経て、元和5年(1619)福島正則改易のあと、備後に福山城を築く。商工業の促進や、大規模新田開発等に努めた名君と伝えられているとのことであった。
 
福山城

福山城


草戸稲荷神社

 草戸稲荷神社は、福山で初詣の際にもっとも参拝客の多い神社さんであると福山の街の方が教えてくださった。福山駅から国道2号線を尾道方面に向かうと、芦田川沿いに大変珍しい社殿が見えてくる。
 13:00過ぎ草戸稲荷神社に到着し、まず初めに朱塗りの鳥居を潜り拝殿に向かい、お参りした。その後、周りを散策していると、本殿にあがり、御神間近で参拝が可能とのことらしい。本殿部分は画像のように片持ち梁になっており、空中に浮かんでいるように見える面白い社殿を有しているので、ぜひとも間近で見てみたいという思ったびである。社務所前で神社の方にその旨を話すと、拝殿左脇の階段から直接上がって参拝してよいというお話であったので早速行ってみることにした。朱塗りの柱の中を階段が通されているイメージ(ジャングルジムとまではいかないが、)で空中に浮かんだ社殿の様子は佐賀県の祐徳稲荷を思い起こさせたが、階段の様子はまた異なっていた。
 本殿前に進み参拝させていただいた後拝殿前より景色を眺めながらしばし風にあたる。この日は大変暖かく(暑く?さすがに中国地方である...)吹き抜ける風が大変気持ちよく感じた。
 社務所に向かい、御朱印をお願いした際、授与品は授与所にというお話であったので授与所を訪ねお守りをいただき、お礼を述べ草戸稲荷神社を後にした。
                   
草戸稲荷神社社殿 本殿にて 草戸稲荷社殿遠景

草戸稲荷神社社殿

本殿にて 草戸稲荷社殿遠景

岡山へ

 草戸稲荷神社は福山の街中からは少し離れている。そしてこの気温。出来ればタクシーを使いたいなどという贅沢心が心をよぎる。しかし、結局のところ流しのタクシーは捕まらず、暑さの中、汗をかきながら歩くこと30数分、なんとか福山駅に到着した。
 岡山へは福山からJR在来線で一時間ちょっとで到着する。のんびり列車の旅である。15:30頃岡山駅に到着し、この日お世話になる”ベネフィットホテル岡山駅前”に向かう。”ベネフィットホテル岡山駅前”は駅からわりと便のよいところに建っており、多少迷いはしたが、約10分程で到着した。
 ホテルに着くと、フロントの女性が小生があまりの大汗をかいているので驚いたのであろう、手続きの前におしぼりを差し出してくださった。大変うれしい心遣いであった。まず部屋に入りシャワーを浴びた後一息つきながらこの日の予定を考えた。明日は朝一番でレンタカーを借りることになっているのであるが、その店の場所を把握していなかったので、確認もかねて岡山の街をぶらついてみることにした。また、少々デジカメの調子が心配な部分もあるので、ワンナワーラボを探して、数枚プリントしてもらい調子を確かめておこうとも考えた。


岡山の街へ

 今回お世話になるマツダレンタカー岡山駅前店は、岡山駅前の街中に建っており、さほど迷うことなく見つけることができた。店内にお邪魔し、明日の予約が入っているかを確認させていただいた後、近くのワンナワーラボを探す。街中だけあっていたるところに見つけることができた。カメラのキタムラさんに数枚のプリントをお願いし、仕上がるまで時間をつぶすことにした。約30分とのことであったので、軽く何か食べておくことにした。この日朝食をとってから何も食べていなかったので少々お腹がすいていた。岡山駅前の源八さんというラーメン屋に入ってみた。店の方が岡山ラーメンはしょう油ラーメンだと言っていたのでしょう油ラーメンを頼んだ。まずくはなかったのであるが...感想はここまででとどめることにする。写真を受け取り、確認。まずは問題ないようだったので一安心であった。
 せっかくなので岡山で少し飲んでおこうと考えた。
 さだ家さんは、ベネフィットホテルからさほど離れていないところに建っていた。17:00過ぎであったのであるが、既に店が開いていたので、今日はこのお店にお世話になることに勝手に決め飛び込んでみた。仙台から来たという話をすると、かならず野球チーム楽天イーグルスの話になってしまうのが当然といえば当然。小生は楽天のファンであるのでそれもまた非常に楽しかった。お料理も大変おいしく、岡山地方の名物”ままかり”の酢付けも大変美味しくいただくことができた。
 大変早いのであるが、19:00前に酒宴は切り上げホテルに戻り休むことにした。
 明日の行程を確認しておいたほうがよいと思ったからである。
 ホテルに戻り、シャワーを浴び、モーニングコールを6:00にセットした。とりあえずこれでいつ寝てしまっても安心である。資料を広げ、明日巡拝する予定の神社様の位置を確認しているうちにいつのまにか眠りに落ちてしまっていた。(福山散策は思った以上に体力を消耗したようである。)


2005.4.22

 6:00に目が覚めてしまった。本日の岡山地方の天気は晴れ。先日購入しておいたパンをパクつきながらテレビのニュースを見る。7:15チェックアウトを済ませ、マツダレンタカーを目指す。この日も暑くなりそうである。開店早々8:00に手続きを完了し、早速出発。車は前回の高松巡拝時と同じマツダのAZワゴンであった。(一点気になった点はNaviつきであるが、調子が今一つで、現在位置はわかるが、その他の目的地設定や地図の拡縮等の操作が出来ないことであったが、目的地の周辺地図はプリントアウトをして持っていたので、さほど気にすることはないと考えた。実際のところ、行程中、Naviのせいで不自由したことはなかった。)


石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)

 まず岡山市街を抜け、石上布都魂神社を目指す。車は多いが流れており、国道53号線を北上し、最寄駅といわれる津山線金山駅までは迷うことなく順調に到達することができた。道は間違っていないのであるが、レンタカーのNaviには石上布都魂神社は表示されない。事前に書籍等でしらべた情報をもとに探すしかない。金川大橋を渡りすぐ左折し700m程進んだ分岐路を右へ進み、平岡から北上すると神社の看板があるのでそれを頼りに車を走らせ、9:00少し前に神社下の駐車場に到着することができた。
 カメラセットと御朱印帳、仙台からのお土産を持ち、徒歩で神社を目指す。途中坂道には杖が用意されており、神社(拝殿)までは時間がかかるのかと少々心配したが、駐車場からのんびりあるいて10分位であろうか拝殿にたどり着いた。
 すると既に宮司様がおられ、「おはようございます」とお声がけすると、「○○さんですね。遠いところを..」とお返しになられた。早速拝殿にてお参りさせていただいた後、お土産をお渡しし、御朱印をお願いした。
 宮司様は御朱印の対応をなされながら、この神社の歴史や、この神社に伝わる伝説を、詳しくお話してくださった。
 素戔嗚尊が八岐大蛇退治の際に用いた断蛇劔を祀ったのがこの神社であり、その刀はこのようなものなんですよと、木製の模型を用いて説明して下さった。
 拝殿左手から400mほど山道を歩くと本宮があり、こちらにもお参りさせていただき汗だくになりながら拝殿まで戻ってくると、宮司様が待っていてくださり、熱いお茶を入れて下さりながらしばし世間話。お互いの地元の話や仕事の話等、話題は尽きなかった。
 帰り際、お礼を述べると、
 「そうそう訪ねてこられるところではないでしょうが、また何かの機会に訪ねてください。」
 とのお言葉をいただいた。
 旅先で思いもかけず大変楽しく、大変貴重な時間を過させていただいた。こういう機会に得た知識や人との交わりが小生の宝となっていると最近つくづく感じている。

                   
石上布都魂神社へ続く道 石上布都魂神社拝殿 断蛇劔

石上布都魂神社へ続く道
(石上布都魂神社駐車場より)

石上布都魂神社拝殿 断蛇劔
素戔嗚尊が八岐大蛇退治に用いたとされる。

             
石上布都魂神社本宮 石上布都魂神社の宮司様

石上布都魂神社本宮

石上布都魂神社の宮司様
楽しいお話、ありがとうございました。

中山神社

 石上布都魂神社の宮司様に教えていただいた道をなぞり、53号線に合流し、津山市にある中山神社を目指した。津山市街を抜け、宮川にかかった橋を渡ると途端に車がすれ違うのがやっとな程道幅が狭くなった。かまわず直進すると、中山神社の鳥居前には樹齢800年といわれる巨木、祝木のケヤキがそびえ立ち、到着を出迎えてくれた。
 鳥居横の空き地に車を停め、参道を直進し、門を2つくぐると拝殿前となり、早速お参りさせていただいた。
 お参り後、境内を少し散策後、社務所に向かい御朱印をお願いすると、初老の男性が対応して下さった。
                   
祝木のケヤキ 中山神社参道 中山神社拝殿

祝木のケヤキ
樹齢800年といわれている。

中山神社参道 中山神社拝殿


吉備津神社と吉備津彦神社

 今回の巡拝旅行で、楽しみにしていたことの一つに、吉備津神社と吉備津彦神社で写真を撮影をさせていただくことがあった。
 53号線を南下し、途中岡山空港側から回り込み、はじめに吉備津神社を目指した。


吉備津神社

 13:50頃、神社前の駐車場に到着した。駐車場前の石段を上り、北随神門を潜り、絵馬殿を抜けるとすぐ前が拝殿という構造となっていた。
  まずはお参りさせていただいた後に社務所に向かい、御朱印をお願いした。御朱印をお願いしている間、社務所におられた若い女性と、神職の方がお付き合い下さった。いただいた由緒書きに用られている写真の本殿のアングルの話や、仙台の話等...。そこで、吉備津彦神社へは歩いて行くことができるとものの本には書かれていたので尋ねてみると、
 「暑いので、車で来られているのであれば、車で移動したほうがよいですよ。今の時期だと、吉備津彦神社の駐車場には鯉のぼりが泳いでいると思いますよ。」
 との情報をいただいた。
 御朱印帳を受け取りお礼を述べ、社務所を後にし、境内をカメラをぶら下げて散策した。吉備津神社は予想していた通り大変美しい神社で、ファインダー越しにその様子を楽しむことができた。
 本殿は国宝に指定されている。また、画像は縮小した為わかりにくくなってしまっているが、南随神門から南にゆるやかに長く伸びる廻廊は、瓦の甍に陽の光が反射し大変美しかった。
                   
吉備津神社本殿 吉備津神社本殿 廻廊

吉備津神社本殿
いただいた由緒書きにあったアングル

吉備津神社本殿
少し上方からのアングル
廻廊
南随神門より南方へ伸びる廻廊

吉備津彦神社

 車を停めた吉備津神社の駐車場の前には土産物屋の”桃太郎”があった。そこで仙台への土産に名物のきび団子等を買い込む。昨晩、さだ家さんで食した”ままかりの酢付け”も売られていたので、合わせて購入した。
 「この駐車場を出て、細い道ぞいに岡山方向に進むと吉備津彦神社に着く。」とのお話を吉備津神社の神職の方に伺っていたので、その通りに進んでみる。2分も車を走らせたであろうか、吉備津彦神社の駐車場に着いた。
 駐車場には吉備津神社の神職の方がお話して下さったように、沢山の鯉のぼりが空を泳いでいた。もう来週はゴールデンウイークか...と考えつつ拝殿を目指す。
 駐車場を出て参道に進み随身門を潜り、20段ほどの石段を上ると拝殿に着いた。お参りをさせていただいてから散策を開始した。この神社の境内も大変美しく、授与所前を拝殿横に進むと、山桜があり、花盛りのころはそれは美しいであろうと想像できた。
 授与所を訪ねると、若い女性が対応して下さった。御朱印をお願いすると、御朱印は奥におられた年配の女性が筆を握られ、その間しばし、先ほどの若い女性ががお付き合いくださった。この方のお話によると、拝殿横の山桜はやはり、なかなか美しいとのことであったが、この日は風が強く、小生が到着した時にはほぼ全て散ってしまったとのことであった。
 お礼を述べ、吉備津彦神社を後にしてから気が付いたのであるが、この神社の御朱印をいただく際に、この神社の御朱印帳をおわけいただき、この御朱印帳にも御朱印をいただいたのであるが、この表紙に御朱印帳と書き入れていただくのを忘れてしまった。何かの機会にまたこの神社に訪れた時に書き入れていただくことにしよう。その時はぜひ、山桜が満開の時に訪れたい。
                   
鯉のぼり泳ぐ 吉備津彦神社拝殿 拝殿(手前 屋根のみ)、祭文殿(中央)、本殿(奥)

鯉のぼり泳ぐ
吉備津彦神社駐車場にて

吉備津神社拝殿
(正面より)
拝殿(手前 屋根のみ)、祭文殿(中央)、本殿(奥)
山桜は...

そして尾道

 中国地方を旅した時にはかならず立寄らなければならないと勝手に決めているのが尾道である。
 岡山市街に到達したのは、15:30頃で少々早いが、目的は全て果たすことができたのでレンタカーを返却し、尾道に向かうことにした。贅沢かとも考えたが、新幹線を使用することにした。16:33岡山駅発のこだまに乗り込み、のんびりと車窓から外を眺める。福山を過ぎたころであろうか、前日訪ねた草戸稲荷神社の大変特徴ある社殿が夕日を受けている様子を見ることができた。
 17:10頃新幹線は新尾道に着き、直ぐにホテルに向かいチェックインした。今回の尾道のホテルは尾道第1ホテルで、尾道駅に近く、かつリーズナブルであるのが助かる。気付かなかったが、会社からメールが携帯に入っており、休み明けに出張が入ったとのことであった。まあこの旅がどうなるという割り込みではなかったので気にはしないことにし、カメラをぶら下げて尾道の町を散策した。
             
尾道小路 海がみえた...

尾道小路

海が見えた...

 一旦ホテルにカメラを置き、お好み焼き、鉄板焼きの”暖談さん”に仙台からの土産物を携えて向かった。明日は因島を訪ねてみたいと考えていたので、因島行きのバスの時刻を途中調べた。6:00過ぎから30分くらいの間隔で運行しているようなので、起きた時間に合わせても問題はないことがわかった。
 暖談さんに顔を出すと、「仙台の!!」と直ぐに判っていただけたのは大変うれしい。手土産を渡し、のんびりと広島風お好み焼きを食しながらビールをいただいた。
 今回の仙台の話題はやはり楽天イーグルスであった。そして尾道の話題は、現在、男たちの大和という映画の撮影が尾道で行われており、その撮影のセットとして大和の艦首部分のセットを1/1で再現しているという。そういえば、対岸の向島のドックに大がかりなものがあったがそれがそうであると容易に想像できた。明日、明るい時に注意して見てみることにした。
 話は尽きないのであるが、また明日の夜もお世話になることを告げて、21:30過ぎにホテルに戻った。
 ホテルに戻り、モーニングコールは一応6:30にセットしておいた。予定している因島行きのバスは本数があるので神経質になることもないのであるが...。この日はテレビを見ているうちに眠りに落ちていたようだ。


2005.4.23

 モーニングコールで目を覚ました。この日の尾道の天気は晴れ。この旅行中天気には恵まれていた。前日購入しておいたパンをパクつき7:00少し前に出発した。
 尾道の海沿いを少し散策した後、尾道駅前のバス乗り場へ向かう。因島行きのバスはほぼ定刻通り7:20頃やってきた。バスは島なみ海道を通り、因島へ。因島では大山神社へお参りすることが目的であったので最寄バス停の因島市役所で下車。到着したのは8:00過ぎのことであったが、早速大山神社へ向かうことにした。


大山神社

 まだ早いせいか社務所には人はおられなかった。社務所横の階段を上り、拝殿前に進み、お参りさせていただく。少し境内を散策してみたが、境内は静まりかえっていた。少しして社務所を訪ねると女性が1人おられた。御朱印をお願いすると、「七福神のですか?」と問われたので、「いいえ、神社様の御朱印をいただきたいのですが。」と答えると、不思議な顔をされ、筆を握り、「どちらから来られたのですか?」とお尋ねになられたので、「仙台からです。」というと、「仙台から !?」と一瞬驚かれ、首からカメラをぶら下げた上に大きなカメラバッグを持っているのを見て、「今日は大安で神社の者は皆ではらっておりまして、社務所には事務の私しかおりませんので、ご案内もしてさしあげられず...午後になれば、ご祈祷の予定も入っているので戻ってくるのですが...。」とのお話であった。この日、大山神社への参拝以外、特に予定はなかったので午後2時頃またお参りさせていただくことにして、この神社を一旦後にした。

水軍城
 大山神社を後にしたのは、9:40頃で14:00までに間がある。どうしようかと考えていたところ、因島は村上水軍が有名で、水軍城なる観光地があることを昨晩聞いたことを思いだした。大山神社で因島の地図をいただいたのであるが、今一つ距離や場所が掴みきれないので贅沢をしてタクシーを使ってみることにした。近くのガソリンスタンドで、タクシーを拾えるところを尋ねてみたが、電話で呼ばないと無理とのことで、このガソリンスタンドの方が電話でタクシーを呼んで下さった。
 車で20分程は走ったであろうか、水軍城に到着した。
 水軍城の中には船の模型(過去から現在、未来への)が展示されていた。この城には村上水軍資料館が併設されており、村上水軍に関してのみではなく、源平の戦いに関する説明もなされていた。小さな資料館であったが大変楽しむことができた。また近くには村上水軍の墓所もあり、お参りさせていただいた。
 
水軍城遠景

水軍城遠景



本因坊秀策

 近くの土産物屋で一息つき、いかにも特産物らしいはっさくママレードを話の種に購入した。時間を見るとまだまだ間がある。地図を見ると、ここから本因坊秀策の墓所が2Kmほど離れた場所にあることに気付いた。
 時間もあることなので、本因坊秀策の墓所へもお参りすることにした。 
 さて、本因坊秀策とは...?
 この人物は、暖談さんに出入りすることがなければ興味などわかなかった人物であろう。以前暖談さんを訪ねた際、このお店がヒカルの碁(漫画、アニメ)に登場したことがあることが話題になった(一の宮巡拝記17 伊予、備後へ 参照)。この時、主人公のヒカルが尾道に訪れた目的は、因島の本因坊秀策の墓所を訪ねる為であった。
 本因坊秀策は、1929年因島市外浦町に生まれ、幼名を虎次郎と言い、母が囲碁を好んだ気質を受け、6才ですでに近郷に敵なく、1841年に名を秀策と改め1年に1段ずつ昇級し、15歳で4段の免許を得る。秀策が20才の時、本因坊家の跡目と決められ、その後1848年御城碁に始めて参加して以来13年間に不敗19連勝という前人未踏の記録を作ったが、1862年江戸にコレラが流行して34歳で亡くなる。(秀の碑近くの説明看板より。)
 本因坊秀策の墓所は地蔵院という寺院にあり、近くには秀策の碑(上述の説明を引用した看板近く)があった。囲碁といえば緻密な計算と推論が必要なものである。伝説的に強い人物であったとのことなので、少しでも論理的推論ができるようにという願いも込めて、秀策の墓所にてお参りをさせていただいた。

 その後、大山神社へ向かうべく、317号線を歩く。時間もあるし、歩いてみようとムボウにも考えた。途中昼頃萬来軒で萬来定食を食した。しょう油ラーメンに、竹の子の煮付け、サラダ、漬物がついて700円。美味しくいただくことができた。
 その後歩き始めたのは12:00を少しまわっていた。途中、大山神社まで5Kmの看板が見えた。途中120号線をを土生方面に向けて歩き、13:30頃大山神社に到着した。この時、定期的にスポーツジムに通っているは無駄ではなかったと実感した。


大山神社再び

 社務所を訪ねると朝応対していただいた女性は席を外しており、14:00頃戻られるとのことであった。(どうやら小生が14:00頃訪ねると言ったのでそれに合わせて戻ってきて下さるようだった.)
 少しすると、その女性が来られ、色々と境内をの案内役を引き受けて下さった。
 大山神社は、昨年訪れた大山祇神社(一の宮巡拝記17 伊予、備後へ 参照)の子供のような神社で、因島で最も古い神社であるとのことであった。 境内には耳明神社(みみごじんじゃ)がある。この神社には言い伝えがあるそうで、昔ある年配の女性のお孫さんの耳が聞こえなくなったときに耳明さんにお参りすると、そのお孫さんの耳が治ったことから耳の病を直してくださる耳の神として信仰を集めており、この話は漁師の間で広まり、サザエの貝が耳ににていることからサザエの貝殻にお米とお酒を入れてお供えする面白い信仰が残されているそうである。全国から耳の神様として崇敬を集めているというお話も聞かせていただいた。
 こじつけになるかもしれないが、小生の妻の職業をこの方に話し、「耳明さんのお守りを頂いて帰ればご利益がありますか?」と話すと、ぜひどうぞと薦めて下さったので、境内の散策終了後、色々とお心遣いをいただいたお礼を述べるために社務所に立寄った際に、一ついただいた。
 境内の写真も色々と撮影させていただき、また、楽しいお話を聞かせていただき、この神社さんでも大変お世話になってしまった。
             
大山神社拝殿 拝殿にて

大山神社拝殿

拝殿にて
             
耳明神社(みみごじんじゃ) サザエをお供え

耳明神社(みみごじんじゃ)

サザエをお供え

尾道散策

 大山神社の皆さんにお礼を述べ、バス停に向かうとタイミングよく尾道行きのバスが来た。バスに乗り込み、尾道方面へ。バスに乗りながらこれからの行動を考えた。千光寺公園に行き、夕暮れの尾道を見ておこうと考えた。
 千光寺公園へのロープウェイ乗り場最寄バス停の長江口に到着したのは15:15頃、夕暮れには少々早い。ロープウェイに乗る前に御袖天満宮にお参りしておくことにした。昨年訪れた際には参道がわからず、迷った記憶があったが、今回は迷うことなくたどり着くことができた。拝殿に進み、今年もこうして尾道に来ることができたことを報告した。
 御袖天満宮からロープウェイ乗り場に向かい、ロープウェイで千光寺公園に向かう。頂上で、ロープウェイのガイドの女性に牡丹で有名な寺を尋ねた。夕べ暖談さんで牡丹で有名な寺が千光寺の近くにあるので、ぜひ行くとよいと紹介されたのであるが、名前を失念してしまっていたのだ。すると、丁寧寺といい、山頂から歩いて下りていってもよいし、ロープウェイで下りてから向かってもよいと行き方を教えてくださった。 
 山頂の展望台に行ってみる。すると対岸の向島のドックの様子が見えた。夕べ話題になった戦艦大和が見えた。大変大きいのに驚き、つい時を忘れて見入ってしまった。日もかげり、尾道の黄昏時を迎えた。
             
戦艦大和船首再現 尾道黄昏

戦艦大和船首再現

尾道黄昏

 何度も来た場所ではないのに郷愁を感じるのはなぜであろうか?尾道の町並みがそうさせるのだろうか?などと考えながら展望台を後にして、ロープウェイは使わずに徒歩で下山した。ガイドさんに教えていただいた丁寧寺の位置も掴んだ。この日はもう陽が暮れるので、明日訪れることにし、尾道の商店街や、海沿いを歩きホテルへ戻った。
 夕食も兼ねて暖談さんにてお好み焼きをつまんでいると、お上さんの旦那さんが丁度こられ、[仙台からこられた...」とお上さんが紹介してくださった。会社(仕事)の話や、野球の話で大変盛り上がってしまった。
 つい勢いで賭けをすることになった。旦那さんが、「楽天イーグルスは最低8年は優勝できないであろう。」と言われたので小生も意地になり、「8年以内、優勝出来る年まで1本ずつ仙台の日本酒をプレゼントします。」ということになった。大変不利な賭けではあるが毎年の楽しみができた。(8年以内に楽天イーグルスが優勝した場合には、美味しいものをご馳走していただく約束である。)
 ホテルに戻ったのは22:00前。明日は予定もないので翌日の目覚ましも設定しなかった。


2005.4.24

 7:00には目が覚めた。尾道の天気は晴れ。ホテルでテレビを見ながらのんびり過し、9:00少し前にチェックアウトした。まず尾道駅に向かい、コインロッカーに荷物を預け、散策を開始した。


尾道散策

 まず初めに丁寧寺に向かい牡丹を鑑賞した。赤い牡丹は真っ盛り、白はこれからといったところであろう。その後、ロープウェイで千光寺公園に向かい展望台から昼間の尾道の様子を見ることにした。この日の尾道は大変天気がよく、尾道水道や、島なみ海道にかかる橋、そして撮影が行われている大和を見渡すことができた。
 その後、ロープウェイで下山し、御袖天満宮にお参りし、おみくじを引いてみる。すると大吉。まだ運はあるようであった。その後、海沿いの道を歩きながら足を停めると、対岸の向島ドックで撮影されている大和の様子を部分的にではあるが垣間見ることができた。前述したがセットが大変大きいのには驚かされる。暖談のお上さんの話によれば、5月中はこのセットを用い、6月位からは呉に場所を移し、1/10のセット(これでも30mほどのものらしい)を用いた撮影となるそうである。向島の1/1のセットは当面は壊さず、一般に公開されるかもしれないとのことであった。
 そんなこんなしているうちにお昼が近づき、お腹がすいてきたので、暖談さんに立寄る(この旅中3回目である)。食事をのんびりとらせていただき、近いうちにまた来たい旨を伝え、尾道駅に向かった。
             
丁寧寺の赤い牡丹 御袖天満宮石段にて

丁寧寺の赤い牡丹

御袖天満宮石段にて

帰路

 三原から広島空港行きのバスが出ているという情報を得ていたので、尾道から山陽本線山口行きに乗り込み、三原に向かう。三原駅を下り、広島空港行きのバス時間を見ると、丁度発車してしまった後で、約2時間待たねばならない。仕方なく、三原から再度山陽本線下関行きに乗り白市からバスで広島空港に向かった。白市からは30分位の間隔で広島空港行きのバスが出ていることはホテルのフロントの方に教えてもらっていた。
 広島空港で土産物を買いこみ、それをトランクに詰め込んだ後にチェックイン手続きを行い、このトランクを預けた。
 空港内をうろつくと、コインで使用することができるインターネット端末が設置してあった。100円で10分間インターネットに接続できる。100円玉を投入し、友人のHPの掲示板に瀬戸内を旅していたことや戦艦大和の話等を書き込んでおいた。
 自宅に着くのは順当に行っても21:00を過ぎるので広島空港で早い夕食をとることにした。牡蠣フライ定食を注文してみた。可もなく不可もなくといったろころだろう。
 出発まではまだ間があったが、手荷物検査を受け、待合ロビーに移動し、ラウンジでカメラの液晶で、撮影した画像を確認した。今回はかなりの枚数を撮影しているので整理が大変そうだ。(この巡拝記を執筆している現在も写真の整理が追いついていない状態である。)これはこれで楽しいのであるが...。
 飛行機はANA804便、定刻通り19:10に離陸し、15分ほど早く20:20頃仙台空港に着陸した。フジ丸を受け取り、自宅に到着したのは21:15頃となった。

 今回の巡拝はいつもよりのんびりとした旅であり、また多くの方とお話をさせていただいたり、直接説明を受けることができたりと大変内容の濃いものとなった。
 それだけ色々な方のお世話になったということであろう。今回の旅で出会った皆様には心から感謝申し上げたい。


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