2010.4.5〜2010.4.7
さくら舞う祭へ(一の宮巡拝記外伝 27)
(とある神社)、(石清水八幡宮)


はじめに

 4月初旬に関西のとある神社様に、春祭の日にあわせて参拝させていただき、奉納される神楽の写真を撮影させていただくのが、尾道の向東八幡さんの秋祭りに参加させていただくこととならぶ重要な年中行事の一つとなっている。
 毎年この、とある神社様の春祭は決まった日に執り行われているのであるが、その日が土日に当たる場合には祭の日がずらされるのである。今年はちょうどその年にあたった。
 年の初めに、失礼を承知で、神社様のメールアドレスに祭の日を問い合わせのメールを送信してみると、宮司様から大変丁寧なお返事をいただいた。
 今年は4月6日であること、遠方からの参拝となるので、気を付けて移動されますようにと書き添えられてあった。
 祭は平日であるけれども、今年はちょうどプロジェクトの切れ目であるので、日時が決まってしまえば、比較的休みも取得しやすかった。
 また、例年さくら舞う中舞われる神楽を奉拝し、気持ちを切り替えて新年度に臨むということも重要なことであると勝手に決め、今年も春祭の日に参拝させていただくことにした。


4月5日

 読み通りちょうど年度初めで、さほど業務的に厳しい状況ではなかった。少々早く会社を退け、その足で仙台空港に向った。
 車を仙台空港最寄駐車場に預け、早速チェックインし、カウンターで荷物を預ける。今回はかなりの量のカメラの装備をもっていたので、これらを預けることにしたのである。すると預かってもらえたことはもらえたのであるが...。今回はJAL便を使用したのだが、カメラバッグに割れ物のタグのみつけて流されてしまった。ANAであれば、箱に梱包材を詰めて預かってくれるのであるが...。この辺が乗客離れを起こすサービスの悪さではないか?と少々心配になりながらカウンターを離れた。
 飛行機は19:10発である。少々間があったが、手荷物検査を済ませ出発ロビーに入る。この日の仙台は雨であったが、現地は晴れ。また翌日の祭の日も天気はまったくもって問題なし。窓の外を見ながら、まだ時間もあったので、夕方の飛行機を使用する際の定番となった牛タンセット(牛タンとビールのセット)を楽しみつつ出発時刻を待った。

大阪にて

 飛行機はほぼ定刻通り伊丹空港に到着した。心配した機材も無事受け取ることができた。この日は心斎橋のホテルに宿泊する予定であったので、なんばOCATからそのホテルまでの地図を持参していた。
 OCATまではリムジンバスを使用すればよいので、空港出口のバスターミナルでなんば行きに飛び乗った。
 が、このバスはOCATまでは行かず、南海なんば駅で下ろされてしまった。ここからではどう行ったらよいかまったく分からない。ゴールするには地方出身者にはかなり難易度が高い。しかし、心斎橋のホテルであるので、きっと地下鉄の心斎橋に行けばよいであろうと思い、御堂筋線に乗り心斎橋を目指した。
 心斎橋の駅を出、宿泊先ホテルの方向に歩いたつもりではあったのだが、まったく別の方向に歩いてしまっていたようだ。途中検問か何かであろうか、府警の方が立っておられたので、場所を聞きなんとかホテルまで辿りつくことができた。


道頓堀、心斎橋界隈

 空腹である。夕方以降、食したものと言えば、仙台空港で食べた牛タンのつまみのみである。荷物を置き早速夜の大阪に繰り出した。 実は宿泊先のホテル西鉄イン心斎橋は大変分かりやすいところに建っていた。地下鉄心斎橋駅からも数分のところだったようだ。少し歩くと道頓堀界隈に着いた。まずは粉ものをほおばる。さすがに美味しい。大変満足である。これだけでは足りないので、ラーメンを食すことにした。しかし、どこの店も行列ができている。1軒あまり混雑していない店をみつけ入ってみた。しかしこれが失敗であった。餃子、ラーメンともにあまり...。関西の某有名タレントのプロデュースの店とのふれこみであったのであるが...。
 とりあえずは空腹は満たせたので、途中コンビニエンスストアで水ものなどを購入しホテルに戻った。

道頓堀にて

道頓堀にて
道頓堀にて

道頓堀にて

菅原文太さんに遭遇
 
道頓堀にて

道頓堀にて
粉もんを食す

粉もんを食す

大変美味しかった。
さすが、本場である。
道頓堀にて

道頓堀にて
道頓堀にて

道頓堀にて
失敗

失敗
西鉄イン心斎橋

西鉄イン心斎橋


 ホテルではのんびり関西のテレビを楽しんだ。出演者はやはり皆関西弁なのである。やはり東北とはのりが違うのである。


4月6日

 6時頃に起き、身支度を整え、旅の友人小林氏との待ち合わせ場所に向った。今回も小林氏と一緒にとある神社様に向うべく待ち合わせをしていたのである。
 待ち合わせ時間より少し早く到着したのであるが、既に小林氏はそこで待っていた。小林氏と会うのは、昨年の8月に弘前へ岩木山に登り、そしてねぷたを見学して以来なので、8カ月ぶりくらいであろうか。積もり積もった    話をしながら、一緒に朝食をとり、とある神社様に向った。
 とある神社様最寄駅で、もう一人の旅の友人小西氏(小西氏とは先日磐梯神社の舟引き祭りを一緒に奉拝している)と遭遇。3人でとある神社様に向った。


とある神社様にて

 いつものことであるが祭が始まる時間までは、まだかなり間がある時間に到着した。神社の総代さんや地区の皆さんが祭の準備をされていた。
 宮司様に御挨拶すると、仕事の区切りはつかれましたか?と年明けにこの春祭の件で問い合わせをした小生のことを覚えていて下さり、遠いところをと迎えて下さった。
 さらに一つサプライズが準備されていた。神事が始まり、玉串の奉納での出来事である。最後の参拝者代表の番で、最も遠くから参拝されていることとなるでしょう。○○様と小生が拝殿前に呼ばれ玉串を奉納させていただくこととなった。このようにはからって下さった宮司様には感謝の言葉もない。
 今年は、3月末には桜は咲いてしまっていたのだそうだが、寒い日が多かったため、この春祭まで花がもってくれたと宮司様がお話してくださった通り、桜の花満開の中、神楽の奉納を奉拝することができた。
 昼食時のこの地区でとれたお米で作られたおにぎり、そして午後の合間にふるまわれた草もち、今年も大変おいしく頂戴することができた。

今年も晴天

今年も晴天
 
桜の花も満開

桜の花も満開
舞台の準備も整った

舞台の準備も整った
舞台より拝殿を望む

舞台より拝殿を望む
最終調整

最終調整

舞手の皆さんが、
最終調整をされていた。
祭事にて

祭事にて

拝殿にお茶が運ばれる。


 この日奉納された神楽の演目は以下の通りである。
 当日撮影させていただいた写真を掲載させていただきたいと思う。
 コメントがまちまちとなってしまっているところは御容赦いただきたい。

一.式神楽

式神楽 式神楽 式神楽 式神楽



一.豊栄舞

豊栄舞
 
豊栄舞
 
豊栄舞 豊栄舞
豊栄舞 豊栄舞 豊栄舞 豊栄舞


一.扇四方拝



一.剣鉾の舞

剣鉾の舞 剣鉾の舞 剣鉾の舞 剣鉾の舞
剣鉾の舞 剣鉾の舞 剣鉾の舞 剣鉾の舞


一.胡蝶吾妻

胡蝶吾妻 胡蝶吾妻 胡蝶吾妻 胡蝶吾妻


一.浦安の舞

浦安の舞 浦安の舞 浦安の舞 浦安の舞
浦安の舞 浦安の舞 浦安の舞 浦安の舞


昼休憩

おにぎり

おにぎり

この地方で昨年収穫された
お米で作られたものである。
たこ焼き

たこ焼き
桜満開

桜満開


一.四条流儀式包丁道

 四条流儀式包丁道の奉拝は毎年楽しみにしている。
 魚に手を触れず、さばき、みごとに飾るこの技は滅多に直接目にすることはできない。
 また、毎年、御好意で、神様にお届けする前に、さばかれた魚を間近で見せていただくこともできる。
 季節にかけているのであろうか、この日さばかれた魚はさくら鯛とのことであった。

四条流儀式包丁道 四条流儀式包丁道 四条流儀式包丁道


一.新人式神楽

 昨年くらいから神楽のお稽古を始められた方による舞の奉納である。
 なんと一番年少の方は5歳とのこと。お姉さん達に交じってしっかりと舞われていた。
 そして舞の奉納が終わると、恒例となった花束の贈呈。非常に心温まる、まさに手づくりの祭であると感じた。

新人式神楽 新人式神楽 新人式神楽 新人式神楽


一.相舞

相舞 相舞 相舞 相舞


一.花剣

花剣 花剣 花剣 花剣


一.二弦琴演奏 菅掻六段曲


二弦琴演奏 菅掻六段曲


一.八平手


八平手 八平手 八平手 八平手


一.悠久の舞

悠久の舞
 
悠久の舞 悠久の舞 悠久の舞
悠久の舞 悠久の舞 悠久の舞 悠久の舞


一.花湯

 本来は煮立ったお湯が用いられるのであるが、この神社様では和紙を細かく切ったものが、お湯に見立てて使用される。
 この和紙は非常に軽いものを使用しているそうで、ちょっとの風でも舞ってしまうので、舞われる直前に準備するのだそうである。(この日も少々風があったため...)
 また、手作業で和紙を切る作業が行われるとのことなので、事前準備にも大変手間がかかっていることが容易に想像できる。

花湯 花湯 花湯 花湯


一.鈴扇

 最後の演目は鈴扇である。片手に鈴、片手に扇を持ち舞われる。
 そして最後に舞手の皆さんより、鈴をお受けすることができた。

鈴扇 鈴扇 鈴扇 鈴扇


 今年も暖かな桜咲く春祭の日に、この神社様に参拝することができた。
 考えてみれば、健康であり、仕事もそれなりに順調であるので遠く離れたこの地を今年も訪ねることができたのである。これは大変幸せなことである。この一年間またがんばり、来年もまたこの春祭の時期に参拝させていただけることができれば幸いである。


京都へ

 このお祭が終わり、京都の伯父殿宅に向うことにした。
 伯父殿の家に泊めてもらい、1年間の小生の動向を報告、そして色々な話をするのももう年中行事の一つと言ってよい。伯父殿はもう定年を迎えてしまったが、開発してきたものは違えども技術者であったので、なにかと共通する話題が多いのである。
 お世話になった神社様を後にし、電車を乗り継ぎ、京都の伯父殿の家に到着したのは、夕食にちょうどよい時間となった。
 伯母殿、いとこ姉殿も加わり非常に楽しい酒宴となり、夜遅くまで話は尽きなかった。


4月7日

 いつもであれば、伯父殿と京都散策をし、夜便で仙台に戻るのであるが、伯父殿は最近あまり出歩かないとのこと。この日は時間もあるし、どうしようかと思っていると、いとこ姉殿が近所の石清水八幡さんを案内してくれるということになり、散策にでかけることになった。


石清水八幡宮

 親戚の家からは石清水八幡さんまで歩いて30分くらいとのこと。
 この日の京都は、曇りで少々肌寒かったのであるが、歩いていれば暖かくなるだろうということで気にせずにでかけた。小生もいとこ姉殿も似たところがあり、こういうところはあまり気にしない。
 平日であったが、参拝客は案外多かった。
 社殿は改装工事中であった。そういえば以前参拝した際も改装工事中であったことを思い出した。今回の工事が終わるのは平成24年とのことだった。
 境内の桜は満開でちょうど見ごろであったのであるが、天気が今一つであったのが少々残念であった。
 展望台から景色をぼっと眺めた。背割堤の桜や京都の街を遠方に望むことができた。
 伯父殿の家から30分くらいのところに良い散歩道。今はちょうど筍の季節。道端では筍が売られている。毎年のことであるが、今年も筍を送ってくれると、いとこ姉殿。今年も楽しみに待つことにしよう。
 良い地京都。また一つ京都が好きになった。

石清水八幡宮にて

石清水八幡宮にて

神職の玉子の皆さんか?
初々しい若い皆さんの行列に会った。
 
石清水八幡宮にて

石清水八幡宮にて

拝殿は改修工事中であった。
石清水八幡宮にて

石清水八幡宮にて

桜は満開である。
背割堤方面を望む

背割堤方面を望む

天気が今一つなのが残念
いとこ姉殿

いとこ姉殿
エジソン碑

エジソン碑

エジソンと竹の神話は
この地から生まれたのだそうだ。
竹林を歩く

竹林を歩く
散策の途中にて

散策の途中にて


 2時間ちょっと。色々な話をしながら、いとこ姉殿と歩いた。本当に久しぶりにいとこ姉殿と歩いた。姉殿は昔から話上手で聞き上手。非常に楽しい時間を過ごすことができた。ぜひまたお付き合い下さい。


帰路

 夕方伯父殿の家から最寄駅までいとこ姉殿に車で送ってもらい、伊丹空港を目指す。
 京阪電車、モノレールを乗り継ぎ、伊丹空港へ。
 空港では少し余裕があったので、土産物を購入したり、軽食をとって過ごした。
 飛行機は定刻通り離陸し、仙台空港にもほぼ予定通り到着した。最近はアクセス鉄道を使っていたのであるが、今回は車で移動している。しかし、今回はこれで正解であった。カメラ機材が非常に重かったからだ。アクセス鉄道が整備された為であろう、空港近辺の駐車場の料金がかなり安くなっているので、かつてに比べて負担が少なくて済む。アルコールを入れて帰ってくることはできないが、その点だけ我慢すれば、荷物の量や、旅行期間によっては自動車を使ってしまってもよいであろう。


最後に

 今回も桜の花満開の中奉納される神楽を、時を忘れて奉拝することができた。
 また、ひさしぶりに伯父殿、いとこ姉殿と色々な話題を話す時間を持つことができ、大変リフレッシュすることができた。
 来年もまた、このような楽しい時間を持つことができることを目標に日々過ごしていきたいと思う。




戻るアイコン