2003.10.4〜2003.10.5
琉球国へ
(普天間宮)、波上宮、(沖縄県護国神社)

 今年12月に、私が出張や個人旅行でお世話になっているANAの特典マイレージがエクスパイアしてしまう分がある。
 大変もったいないことである。そう考えていた時に、国内移動が通常15000マイルのところ、12000マイルで移動できるというキャンペーンをするという。
 であれば、この期間に仙台から移動できるところで、会社の予定がわからないので土日のみという条件のもと、多少強引ではあるが、沖縄の新一宮波上宮さんをお参りすることに決定した。
 予定というものは本当に立たぬもので、予定日10月4日の前日には、会社のプロジェクトのキックオフの飲み会が入ってきた。やはり、土日のみの計画で正解であった。
 沖縄は、カミサンと一度旅行したことがあったが、沖縄本島にはほとんど滞在しなかった。そして、今は沖縄にはモノレールが開通した。予定ではこのモノレール自体を使用するかどうかは考えていなかったが、タクシーとバスのみの移動手段しかなかったころに比べれば計画も立てやすくなった。
 しかし、いつものことであるが、私の旅に細かい計画などというものはない。今回も、波上宮さんへのお参りは絶対条件として、普天間宮さんにいけたらいこうくらいのことしか考えていなかった。

10月4日
 
 前日のお酒を少々引きずりながら、9:00に家を出発した。道は空いており、いつもの駐車場に車をあずけ、10:00前には仙台空港に到着した。まずは、自動発券機で、特典航空券を受け取る。その際、天気もよいので、窓側の席を指定した。
 11:55定刻通りANA463便は離陸した。途中ジュース等のサービスを受けながら飛行機の旅である。以前カミサンと沖縄に行った時には、軽食のサービスがあったと記憶していたのだが、なくなってしまったようである。飛行機は14:45に那覇空港に着陸した。
 さて、これからどうしようか、普天間宮をめざしてみようと考えた。神社さんにお参りするならば、17:00前にはお宮さんに到着しなければ社務所もしまっている場合が多い。バスにするか?バスの出発時間を見る。30分ほど待たされるようだ。距離もあり、17:00に間に合わない可能性が高そうなので行きは奮発してタクシーを使うことにした。(那覇市内にホテルを予約していたので、帰りはバスで帰ってくればよい位に考えていた。)
 14:55那覇空港のタクシー乗り場から、タクシーに乗り込む(玉城タクシー)。色々お話ししているうちに、普天間からの帰りもお願いすることになった。
 那覇市内渋滞していた。バスではどれくらい時間がかかったかわからない。タクシーで正解である。事故渋滞であった。
 普天間までの道、いろいろお話しながら陸の旅である。玉城タクシーの運転手玉城さんは、大変きさくな方で、色々なことを教えて下さった。(そういえばカミサンと沖縄を訪れた時にもタクシーの運転手さんにはよくしていただいた記憶がある。)

 沖縄在住の方には申し訳ないが、沖縄は異国のように思える。沖縄の民家も独特であるし、さらに米軍基地の存在が私にそのような感想を書かせるのかもしれない。
 米軍の住宅の脇を通った時、アメリカ人の方が芝生の庭に置いてある木製のイスに上半身裸で腰掛けてタバコをふかしている姿を見た。私は出張等で外国に行く機会が多いが、とてもそのような行為をすることはできない。それだけアメリカの方が、沖縄に溶け込んでいるということなのだろうか?


普天間宮

奥宮へ 15:50 普天間宮に到着した。
 お参りをしようとしたのだが、お賽銭箱が拝殿前にはないし、なにやら多くの方が拝殿に上がり、お祈りをしているようだ。
 お参りの仕方が判らない。
 まずは、境内の写真などを撮影させていただき、授与所が空くのを待って、本宮にお参りしたい旨を申し出た。普天間宮さんには、鍾乳洞があり、本宮がそこに鎮座していることを、以前インターネットで見たことがあったのだ。
 そうすると、授与所にいた若い女性が、こちらにお名前をいただけますか?と帳面を出されたので、そちらに記帳すると、こちらです、と鍵を手にし、鍾乳洞への扉を開けて、鍾乳洞まで案内してくださった。
 鍾乳洞の中にお社が祀られていた。お参りさせていただき、鍾乳洞の写真を何枚か撮影した。先ほどの女性から、本宮そのものの写真を撮ることは控えて下さいとのお申し出があったのでそれに従い、さしさわりのないように撮影を行った。

 

普天間宮拝殿

 授与所に戻り、お参りが終了した旨を伝え、お礼を述べた後に、お守りをいただき、御朱印をお願いした。その後、境内の写真を撮っていると、よほど熱心に撮影していると思われたのか、神社の方が出てこられ、いろいろとお話を聞かせて下さった。
 本土では、二礼二拍一礼と、直ぐお参りがすんでしまうが、沖縄では、拝殿に上がり、お供えものをしてじっくりと時間をかけてお参りすることが多いとのこと。
 なんでも、私が訪ねたこの日は、特別な日であり、お酒に菊の葉を浮かべたものをお供えし、お参りをするのだそうだ。
 また、一番のご馳走を食べる日であることも教えてくださった。

 

 時間を見ると、もう17:00近くになっていた。
 まっていていただいた、玉城さんのタクシーに乗り込み、ホテルを目指す。途中、お願いして土産物屋さんに寄ってもらった。
 すると、その土産物屋さん、カミサンと沖縄を訪れた時に立ち寄ったことのあるお店であった。
 会社や、家への土産をまとめてそこで買い、発送していただくことにした。
 ホテルに17:50に到着、お世話になった、玉城さんとはここでお別れである。玉城さんは、明日は修学旅行生の貸切が入っているとのことだった。
 ホテルはモノレールの駅、牧志近くにあり、国際通り等にも近い大変便のよいところに建っている。このホテルは、私が出張の時によく利用する東横イン系列のホテルである。
 まずは、チェックインだけすませ、カメラの装備のみ持ち、直ぐに外出した。


波上

波上宮 波上宮から夕日が見えるのではないかと考えたのだ。場所などさっぱり分からないのでホテルの前でタクシーをひろう。
 すると、"1メーター"で到着。意外と近い。帰りは歩いて帰ることにしようと心に決める。
 波上宮さんにお参りした後、社務所横の小道をつたい、砂浜から本殿を見上げてみる。
 なかな見事なロケーションであった。カメラをもって散策しているうちに、日は暮れてしまった。
 波上宮さんには、明日朝にあらためてお参りすることにした。

 

那覇の夜
 ここからは、巡拝記番外編となる。
 沖縄までせっかく来ているので、沖縄の食を楽しみたい。
 波上宮さんの1の鳥居の前に沖縄独特の建物の○や食堂(まるやしょくどう)さんがあった。そこには、そばと書いてあった。
 そのお店に入り、そーきそばを注文した。まずは、かるく腹ごしらえし、すこし夜の街を歩いたあとに一杯やろうと考えたのだ。
 おばちゃんが、そーきそばを運んできてくれた。"液状の唐辛子"はからいからね。と一声かけていってくださった。そう言われれば試したくなるものだ。
 かけてみた。そうからいとは感じなかったが、汗が噴出してきた。しかし、大変美味しかった。旅先ではこういう定食やさんのようなお店のほうが入ってみて楽しい。
 その後、道はわからないが、方角だけ確かめ歩く。国際通りを流してみることにした。みやげ物やさんばかりが立ち並ぶ。時間があれば細かく見てあるくのだろうが、客引きばかり多く、今ひとつ疲れるだけのようだ。食べ物やさんも、仙台や、東京でも見つけられそうな、洒落た飲み屋ばかりで、沖縄の食を味わう目的からははずれそうだ。
 近くの市場に行ってみた。閉まりかけているお店も少しあったが、食材や、衣類等、面白いものを沢山見ることができた。
 観光地よりも、少し外れたところのほうが面白いものに出会える。
 19:30を回っただろうか、そろそろお腹も空いてきたので、沖縄料理のお店を探す。しかし、前述のようによいお店がなかなか見つからない。
 かなり歩き、ホテルの近くの"ゆがふう"というお店に入ってみた。
 このお店は2階にあり、1人で入るには少し勇気が必要だった。(店の中が見えないからである。)店に入ると、8人程度のお客さんが宴会をしているだけだった。
 おばさんが1人でお店を切り盛りされていた。
 オリオンの生ビールと、ごーやちゃんぷるー、とうふよう、ミミガーをお願いした。とてもに美味しかった。
 お酒も、ビールから泡盛に切りかえて、のんびりと飲んだ。残波の30度のものを水割りでいただいた。グラスにこれを絞ると飲みやすいですよ、と、シークワーサーを切って添えてくださった。大変飲みやすく、美味しくいただくことができた。
 また、おばさんがお話の相手をしてくださり、沖縄のことをいろいろ聞かせてくださった。お店を出るころには、沖縄のおかあさんと呼ばせていただけるようになっていた。
 大変な偶然であるが、また余談ではあるが、始めにお店にいたお客さんは、元プロボクシング世界チャンピオン具志堅用高さんと、関係者のみなさんであった。
 
 安里さん(お母さん)たいへん美味しいお料理をありがとうございました。ごちそうになったフーチバジューシーの味は忘れません。 
 必ず、またお邪魔させていただきます。それまでお元気で。

         
沖縄のお母さん シークワーサー ゆがふう
沖縄のお母さん 安里さん、
美味しいお料理ありがとうございました。
最近TVで話題のシークワーサー 。
初めて実物を目にした。
ゆがふうの看板。
裏通りの2階にあり、あまり目立たないお店である。

 ゆがふうを出たのは22:00頃、ホテルに着き、シャワーを浴びると、旅の疲れか、直ぐに眠りについてしまった。



10月5日
 
 ホテルの目覚ましを6:30にセットしたのであるが、ベッドから起き上がったのは7:15を回っていた。急いでホテルのサービスの朝食をとり、7:45にチェックアウトした。この日もよい天気である。寝坊の代償は、タクシーという出費に繋がった。約5分程度で波上宮に到着した。
 昨日、そーきそばをご馳走になった○や食堂さんはまだしまっていた。


波上宮(再び)

波上宮拝殿 まずはお参りをさせていただいた。鈴はないものの、私がこれまでお参りしてきた神社さんとなんら変わりない。
 神社の境内は大変きれいに整備されている。まだ社務所(授与所)にもだれもおられないようなので、一時間ほどカメラをぶら下げて境内や、神社の周りを歩きながら写真を撮影してあるいた。
 夕べ(昨日)は海に沈む夕日に映える拝殿、本殿の姿を目にし、今朝(この日)は、朝の澄み切った青い空に浮かび上がる姿を目にした。私の未熟な腕ではこの美しい姿を表現することはできないであろうと思い、しばし眺める。多分忘れることはない風景の一つとして思い出されるであろう。
 そうこうしていると、社務所(授与所)に神職の方が詰められたようだ。御朱印をお願いし、お守りもいただいた。
 御朱印を待っている間におみくじを引いてみた。いつもながら思うが、おみくじというものは今の状況が不思議と言い当てられているのが不思議である。
 9:30、御朱印をいただき、お礼を述べ、波上宮さんを去ろうとすると、拝殿に神社の皆さんがお集まりになり、朝の祈祷が始まったようである。
 短い旅ではあったが美しい風景を見ることができたこと、そして、よい人と出会うことができたことに感謝を込め、軽く拝殿に向かい会釈し、波上宮を後にした。


沖縄県護国神社
 
昨晩ゆがふうに、"くまで"が飾ってあり、お母さんが護国神社で頂いてきたとお話してくださった。飛行機の時間にはまだ間があったので、護国神社にお参りしてから空港に向かうことにした。
 なんと今回の旅には、地図などというものを持ってはこなかった。本当の行き当たりばったりの旅なのである。護国神社の場所など分かるはずもない。奮発してタクシーを使うことにした。(このいい加減さにはこまったものであると自分でも思う。)
 タクシーに乗り込み、行き先を告げると、首里城のほうにタクシーは向かっているようだ。仙台の護国神社も青葉城祉の中にあるので、沖縄の護国神社もそうなのだという、わけのわからない安堵感があった。が...到着した先は護国寺であった。
 タクシーの運転手さんに護国神社に行きたいといったはずだと告げると、お寺と神社を間違えてしまったらしい。料金メーターのカウントを停め、護国神社に向かい走ってくれた。料金は、護国寺までのぶんでよいとのこと、小生も場所を確認しなかった落ち度がある。御礼とお詫びを言い、タクシーの運転手さんと別れた。
 沖縄県護国神社は、奥武山公園の中に鎮座していた。この公園には、野球場や、弓道場、テニスコート等の設備が整備されている。休日ということもあって沢山の方がスポーツを楽しんでおられた。
 鳥居の前には椰子の木があり、いかにも南国である。鳥居をくぐると整備された境内が広がっており、白い拝殿が映える。早速、護国神社にお参りし、御朱印をいただいた。


 護国神社をお参りの後、空港に向かうことにした。奥武山公園の近くの壷川駅より、モノレール(ゆいレール)に乗ってみた。約15分で那覇空港に到着してしまった。
 11:00、発券のみ済ませ、みやげ物やさんをのぞいたり、食事を取ったりして時間をつぶした。
 食事は、空港の琉球料理屋で、琉球定食を食す。沖縄そば、じゅーしー、もずく酢、ピリカラゴーヤにアイコーヒーがついて1000円。大変お得で満腹となったのであるが、味はイマイチ。空港の食堂なので仕方がないとあきらめるべきか? いや、昨晩お世話になった○や食堂さんや、沖縄のお母さんのお店の料理がうまかったので、きっとそう感じたのかもしれない。
 12:00少々は早いが、手荷物検査を受ける。しっかりと、X線防御パックがひっかかり、カメラバックの中身を総ざらいされてしまった。まあやましいことはないので、どうということもない。(こうなることを見越して早めに手荷物検査を受けた訳であるし...)
 13:30ANA464便は定刻通り出発。案外空いていた。16:00には仙台空港に着き、預けた車を受け取り、家についたのは17:00であった。

 今回の旅は、いつもにまして強行軍であったのは言うまでもない。
 しかし、時間が少なかった割には、のんびりと観光をしたり、美味しい沖縄の食を堪能したりと、思った以上に沖縄を満喫することができた。
 タクシーの運転手さんや、普天間宮の関係者の皆さん、そしてお料理をごちそうになった○や食堂さんや、ゆがふうのお母さんと、お会いする方皆さんに大変よくしていただいたことが幸運であったのだと思う。
 なかでもゆがふうのお母さんには大変お世話になった。この巡拝記は旅行から帰った翌週に書き綴っている。この巡拝記を記し終わったら、お母さんに、お礼の手紙を書こうと考えている。その手紙には今度沖縄に訪れる時には、カミサンを連れてうかがいたい旨を書き添えたいと思う。
 

 


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